マルコ​に​よる​福音​書 6:1-56

6  イエスはそこをってきょう+たちがあとしたがっていた。  あんそくにイエスがかいどうおしはじめると,いていたひとおおくはたいへんおどろき,こうった。「このひとは,これらのことをどこでまなんだのか+。このようながあって,これほどのきょうりょくおこないができるのは,いったいどうしてか+  このひとだい+,マリアの息子むすこ+,またヤコブ+,ヨセフ,ユダ,シモンのあにではないか+いもうとたちもここにいっしょにいる」。こうしてひとびとはイエスをしんじようとしなかった。  しかしイエスはった。「げんしゃは,きょうしんぞくあいだぶんいえがいであればうやまわれます+」。  それで,なんにんかのびょうにんいてなおがい,そこできょうりょくおこないができなかった。  イエスはひとびとしんこうのなさにとてもおどろいた。そしてむらむらじゅんかいし,おしえていった+  さて,イエスは12にんせて,2人ふたりずつつかわすことにかり+じゃあくてん使たいするけんあたえた+  また,つぎのようにした。たびのために,つえがいなにも,パンもしょくもつぶくろおびなかにおかね*も,っていってはならない+  サンダルをきなさい。しかし,えのふくっていって*はならない。 10  イエスはさらにった。「どこでも,あるいえはいったなら,そのるまではそこにたいざいしなさい+ 11  どこでも,ひとびとがあなたたちをむかえず,みみかたむけないでは,そこをときに,あとはそのひとたちのせきにんであることをしめすためにあしよごれをはらいなさい+」。 12  それで12にんけ,あらためるようにとでんどうした+ 13  そしておおくのじゃあくてん使+おおぜいびょうにんあぶらってなおした。 14  さて,ヘロデおう+がそのことをいた。イエスのまえがよくられるようになったからである。ひとびとは,「バプテスマをほどこひとヨハネがかえった。だからきょうりょくおこな*ができるのだ」とっていた+ 15  また,「あれはエリヤだ」とひとや,「むかしもいたようなげんしゃだ」とひともいた+ 16  しかしヘロデはそれをいて,「わたしくびをはねたあのヨハネがかえったのだ」とった。 17  ヘロデはかつて,ぶんきょうだいフィリポのつまヘロデアとのことでヨハネをらえさせ,しばってろうれていた。なぜなら,ヘロデはヘロデアとけっこんしていて+ 18  ヨハネがヘロデに,「きょうだいつまぶんのものとするのはただしくありません」とっていたからである+ 19  それでヘロデアはうらみをいだき,ころしたいとおもったが,できなかった。 20  ヘロデが,ヨハネはただしいせいなるひとだとっていて+,ヨハネをおそれ,しておいたからである。ヘロデはヨハネがはなすことをいて,どうしたらいいかととうわくしながらも,よろこんではなしいていた。 21  ところが,ヘロデアにとってごうがやってた。ヘロデがぶんたんじょう+こうかんぐんれいかん,ガリラヤのちょめいじんなどのためにゆうしょくかいひらいたときのことである+ 22  ヘロデアのむすめはいってきておどり,ヘロデをはじめ,しょくをしていたひと*たちをよろこばせた。おうむすめに,「なんでもしいものをいなさい。それをあげよう」とった。 23  しかも,「しいものがなんであっても,おうこくはんぶんでも,あげよう」とちかった。 24  むすめていってははおやに,「なにもとめたらいいでしょうか」とくと,ははおやは,「バプテスマをほどこものヨハネのくびを」とった。 25  むすめはすぐ,おうのもとにいそぎ,「バプテストのヨハネのくびおおざらせていますぐおあたえくださいますように」とねが+ 26  おうふかかなしんだが,ぶんちかいやきゃく*のことをかんがえると,ねがいを退しりぞけたくはなかった。 27  それで,すぐにえいつかわし,ヨハネのくびってくるようにとめいれいした。えいって,ろうなかでヨハネのくびをはね, 28  おおざらせてってきた。そして,それをむすめあたえ,むすめははおやわたした。 29  ヨハネのたちはそのことをくと,たいり,はかほうむった。 30  使たちはイエスのもとにあつまって,おこなったことやおしえたことをぜんほうこくした+ 31  イエスはった。「さあ,いっしょしずかなしょって,すこやすみなさい+」。りするひとおおく,しょくをするひまもなかったからである+ 32  それでいっこうふねり,ぶんたちだけになれるしずかなしょかった+ 33  ところが,それはられていて,おおくのひとわたった。それですべてのまちからひとびとはしっていき,ふねよりさきいた。 34  イエスはふねり,おおぜいひとて,かわいそうにおもった+ひつじいのいないひつじのようだったからである+。そして,おおくのことをおしはじめた+ 35  おそかんになっていた。たちがイエスのもとにて,った。「ここはへんぴなしょで,もうおそかんです+ 36  みなかいさんさせ,まわりの田舎いなかむらってぶんものえるようにしてあげてください+」。 37  イエスはこたえた。「あなたたちがものあたえなさい」。するとたちはった。「わたしたちが200デナリぶんのパンをってきて,ひとびとあたえるのですか+」。 38  イエスはった。「パンはいくつありますか。てきなさい」。たちはたしかめてきて,った。「5つです。ほかにさかなが2ひきです+」。 39  イエスはぜんいんに,あおくさうえにグループになってすわるようした+ 40  ひとびとは100にんまた50にんのグループになってすわった。 41  イエスは5つのパンと2ひきさかなり,てんげていのってから+,パンをってたちにわたはじめた。ひとびとくばらせるためである。また,2ひきさかなみなのためにけた。 42  こうしてみなべてまんぞくした。 43  かけらをひろうと,パンだけで12かごがいっぱいになった+ 44  パンをべただんせいは5000にんだった。 45  それからすぐイエスはたちをふねらせ,ベツサイダおきとおってさきたいがんかわせ,ぐんしゅうかいさんさせた+ 46  イエスはわかれをげたあといのりをするためやまった+ 47  れて,ふねみずうみなかほどにあったが,イエスは1人ひとりりくにいた+ 48  かいかぜのためにたちがひっでこいでいるのをて,だい4けいころみずうみうえあるいてふねほうかった。とはいえ,そばをとおぎるつもりだった。 49  たちは,イエスがみずうみうえあるいているのをにすると,げんえい*だとおも+さけごえげた。 50  みな,イエスをどうようしたのである。しかし,イエスはすぐにはなけ,「あんしんしなさい。わたしです。おそれることはありません」とった+ 51  そしてふねむと,かぜはやんだ+たちはすっかりおどろいた。 52  さきほどのパンのあくしておらず,まだこころにぶくてかいできなかったのである。 53  いっこうみずうみわたってゲネサレにき,きしふねめた+ 54  ふねりると,ひとびとはすぐイエスにいた。 55  そして,そのいきぜんたいまわり,びょうくるしむひとたちをたんせ,イエスがいるといたところはこんだ。 56  イエスがどこのむらまち田舎いなかはいっても,ひとびとびょうひとたちをひろき,そのひとたちは,がいすそにだけでもれさせてくださいとイエスにたんがんするのだった+。そして,れたひとみなくなった*

脚注

直訳,「銅」。
直訳,「衣服を2枚着て」。
または,「奇跡」。
または,「晩餐の客」,「一緒に食卓で横になっている人」。
または,「食卓で横になっている人」。
または,「錯覚」。
または,「救われた」。

注釈

郷里: 直訳,「父の場所」。イエスの育った町ナザレのこと。イエスの家族はその地方の人だった。

郷里: マタ 13:54の注釈を参照。

大工の息子: 大工と訳されているギリシャ語テクトーンは,どんな職人や建築者も指せる一般的な語。木工関係の職人を指す場合,建築,家具製作,他の木材加工をする人などを表した。2世紀の殉教者ユスティノスは,イエスが「人間の中にいた時,大工」として働き,「すきやくびきを作った」と書いている。聖書の古代語訳も,木工関係の職人という考えを支持している。イエスは「大工の息子」としても「大工」としても知られていた。(マル 6:3)イエスは養父ヨセフから大工仕事を学んだと思われる。そのような見習いは通常,男の子が12歳から15歳の頃に始まり,何年も続いた。

ヤコブ: イエスの異父弟。使徒 12:17注釈を参照)とガラ 1:19で言及されていて聖書の「ヤコブの手紙」を書いた人と思われる。(ヤコ 1:1

ユダ: イエスの異父弟。聖書の「ユダの手紙」を書いた人と思われる。(ユダ 1

大工: イエスは「大工」としても「大工の息子」としても知られていた。このことから,12歳の時に神殿に行ってから宣教を始めるまでのイエスの生活について幾らか洞察できる。(マタ 13:55の注釈を参照。)マタイとマルコの記述は補い合っている。

マリアの息子: イエスについてこう言われているのはこの時だけ。ヨセフのことは言及されていないので,すでに亡くなっていたのかもしれない。イエスがヨハネに,自分が死んだ後の母マリアの世話を頼んだことも,その可能性を示唆している。(ヨハ 19:26,27

ヤコブ: マタ 13:55の注釈を参照。

ユダ: マタ 13:55の注釈を参照。

兄: または,「兄弟」。ここのギリシャ語アデルフォスは聖書で信者同士の関係を指す場合もあるが,ここでは,ヨセフとマリアの息子たちであるイエスの異父弟とイエスとの関係を指して使われている。マリアがイエスの誕生後も処女だったと信じている人の中には,ここのアデルフォスはいとこのことだと主張する人がいる。しかし,ギリシャ語聖書は「いとこ」については別の語(コロ 4:10でギリシャ語アネプシオス)を使い,「おい」についてはまた別の言い方をしている。(使徒 23:16)さらにルカ 21:16で,ギリシャ語アデルフォスとシュンゲネースの複数形(「兄弟,親族」と訳されている)が並列されている。こうした例から分かるように,ギリシャ語聖書で家族関係を指す語は見境なく適当に使われているのではない。

そこで強力な行いができなかった: イエスはあまり奇跡ができなかったが,それは力が足りなかったからではなく,行える状況ではなかったから。ナザレの人々は信仰が欠けていたので,イエスはそこで強力な行いをあまり行わなかった。(マタ 13:58)神の力は,懐疑的で受け入れようとしない人のために浪費されるべきではなかった。(マタ 10:14,ルカ 16:29-31と比較。)

教え,……伝え: 教えることと伝えることには違いがある。教える人は知らせる以上のことをする。指導し,説明し,説得力のある論議を展開し,証拠を提出する。マタ 3:1; 28:20の注釈を参照。

人々の信仰のなさにとても驚いた: 福音書筆者の中で,イエスが「郷里」の人々の反応について強い感情を抱いたことを述べているのはマルコだけ。(マタ 13:57,58。「マルコの紹介」も参照。)「とても驚く」と訳されているギリシャ語動詞は,人々がイエスの奇跡や教えをどう感じたかを描写するのによく使われているが(マル 5:20; 15:5),イエスの反応を描写するのに使われている場面も2つある。イエスはある士官の示した素晴らしい信仰にとても驚いた。(マタ 8:10。ルカ 7:9)そして今回のイエスの驚きにはナザレの人々の信仰のなさへの失望が含まれていた。

村々を巡回し: ガリラヤでの3回目の伝道旅行の始まり。(マタ 9:35。ルカ 9:1)「巡回」という表現は,もしかしたらその地方を徹底的に回ったことを示しているのかもしれない。また,最初の地点に戻ってきたことを示しているという意見もある。教えることはイエスの宣教の重要な特徴だった。マタ 4:23の注釈を参照。

その土地を去るまではそこに滞在しなさい: イエスは弟子たちに,ある町に着いたら,迎え入れてくれる家に滞在するべきで,「家から家へと移っていって」はならないと指示していた。(ルカ 10:1-7)弟子たちは,より快適で,もっと物を提供したりもてなしたりしてくれそうな家を探そうとしないことによって,それらのものが伝道という使命に比べれば二の次であることを示すことになる。

足の汚れを振り払いなさい: この動作によって,弟子たちは神の裁きの結果に関して責任がないことを示した。同様の表現が,マタ 10:14,ルカ 9:5で使われている。マルコとルカは,後はその人たちの責任であることを示すためにという表現を付け加えている。パウロとバルナバはピシデアのアンティオキアでこの指示通りにした。(使徒 13:51)パウロはコリントでも同様に自分の服に付いた土を振り払い,こう説明している。「あなた方がどうなるとしても,それはあなた方自身の責任です。私は潔白です」。(使徒 18:6)弟子たちはこの動作を見慣れていたと思われる。信心深いユダヤ人は異国人の土地を通ってくると,ユダヤ人の地域に入る前に,サンダルの土を汚れと見なして振り払っていた。しかしイエスは弟子たちにこの指示を与えた時,別の意味で述べていたと考えられる。

大勢の病人に油を塗って: これは象徴的な行為。油には癒やしの作用があると理解されていたが(ルカ 10:34と比較),病気の人を治したのは,油そのものではなく神の聖なる力の奇跡的な働き。(ルカ 9:1,6

ヘロデ: ヘロデ大王の子ヘロデ・アンテパスのこと。用語集参照。

地域支配者: 直訳,「四分領太守」。下級の地域支配者や地方領主のことで,ローマ当局の承認を得て支配した。マタ 14:1,マル 6:14の注釈を参照。

バプテスマを施す人: または,「浸礼を施す人」,「浸す人」。こことマル 6:14,24で使われているギリシャ語バプティゾーの分詞形は「バプテスマを施す人」と訳せる。これはマル 6:25; 8:28,およびマタイとルカで「バプテスト」と訳されているギリシャ語名詞バプティステースとは語形が少し違う。「バプテスマを施す者」と「バプテスト」という2つの呼び方は,マル 6:24,25で同意語として使われている。マタ 3:1の注釈を参照。

ヘロデ王: ヘロデ大王の子ヘロデ・アンテパスのこと。(用語集参照。)マタイとルカはアンテパスのローマの正式な称号「四分領太守」つまり「地域支配者」を使っている。(マタ 14:1,ルカ 3:1の注釈を参照。)その四分領はガリラヤとペレアから成っていた。しかし,彼は一般に「王」と呼ばれていた。このヘロデについて,マタイはその称号を1度使い(マタ 14:9),マルコはその称号のみを使っている。(マル 6:22,25-27

人々は: 直訳,「彼らは」。「彼は」としている写本もある。

バプテスマを施す人: マル 1:4の注釈を参照。

自分の兄弟フィリポの妻ヘロデア: ヘロデ・アンテパスは自分の異母兄弟ヘロデ・フィリポの妻ヘロデアに夢中になった。ヘロデアはフィリポと離婚し,アンテパスも妻と離婚して,ヘロデアとアンテパスは結婚した。バプテストのヨハネはユダヤ教の律法に反するこの不道徳な結び付きを批判したために捕らえられた。

ヨハネを捕らえ……牢屋に入れていた: 聖書は,これがどこで起きたかを述べていない。ヨセフスは,ヨハネがマケルスの要塞で投獄され,殺されたと述べている。その要塞は死海の東岸にあった。(「ユダヤ古代誌」,第18巻,5章,2節 [ローブ18.119])ヨハネがその牢屋にしばらくいた可能性はある。(マタ 4:12)しかし,ヨハネが亡くなった時に拘束されていたのは,ガリラヤ湖の西岸の町ティベリアと思われる。その理由は以下の通り。(1)ヨハネはイエスがガリラヤで宣教を行っていた近くで牢屋に入れられていたようである。イエスの活動について聞き,牢屋から弟子たちを遣わしてイエスと話をさせた。(マタ 11:1-3)(2)マルコによれば,ヘロデの誕生日パーティーには「ガリラヤの著名人」が出席していたので,それはティベリアにあるヘロデの邸宅で開かれたのだろう。ヨハネはパーティーが行われた場所の近くで拘束されていたと思われる。(マル 6:21-29。マタ 14:6-11

自分の兄弟フィリポの妻ヘロデア: マタ 14:3の注釈を参照。

ヨハネを捕らえさせ,縛って牢屋に入れていた: マタ 14:3の注釈を参照。

正しい聖なる人だと知っていて: ヘロデ・アンテパスはヨハネの話を聞いて彼を保護しておいた。正しい聖なる人だと認めていたからである。ヘロデはヨハネを恐れたが,客たちの敬意を失うことを恐れ,信仰が欠けていたため,ヨハネを殺すことになった。ユダヤ人の歴史家ヨセフスはバプテストのヨハネを「善人」と呼んでいる。

ヨハネを捕らえ……牢屋に入れていた: 聖書は,これがどこで起きたかを述べていない。ヨセフスは,ヨハネがマケルスの要塞で投獄され,殺されたと述べている。その要塞は死海の東岸にあった。(「ユダヤ古代誌」,第18巻,5章,2節 [ローブ18.119])ヨハネがその牢屋にしばらくいた可能性はある。(マタ 4:12)しかし,ヨハネが亡くなった時に拘束されていたのは,ガリラヤ湖の西岸の町ティベリアと思われる。その理由は以下の通り。(1)ヨハネはイエスがガリラヤで宣教を行っていた近くで牢屋に入れられていたようである。イエスの活動について聞き,牢屋から弟子たちを遣わしてイエスと話をさせた。(マタ 11:1-3)(2)マルコによれば,ヘロデの誕生日パーティーには「ガリラヤの著名人」が出席していたので,それはティベリアにあるヘロデの邸宅で開かれたのだろう。ヨハネはパーティーが行われた場所の近くで拘束されていたと思われる。(マル 6:21-29。マタ 14:6-11

誕生日祝い: これはティベリアにあるヘロデ・アンテパスの邸宅で行われたと思われる。(マタ 14:3,マル 6:21の注釈を参照。)聖書は2つの誕生日祝いのことしか述べていない。1つはこの時で,ヨハネが首をはねられ,もう1つはエジプトの君主ファラオの誕生日で,料理人の長が処刑された。(創 40:18-22)この2つの記述は似たところがある。どちらも盛大な宴会と恩恵を施すことが特色となり,どちらも処刑がなされたことで知られている。

誕生日: この祝いが行われたのは,ガリラヤ湖の西岸の町ティベリアにあるヘロデ・アンテパスの邸宅だと思われる。そう言える1つの理由は,マルコがここでガリラヤの著名人が出席していたと述べているからである。(マタ 14:3,6の注釈を参照。)聖書は2つの誕生日祝いのことしか述べていない。1つはこの時で,ヨハネが首をはねられ,もう1つはエジプトの君主ファラオの誕生日で,料理人の長が処刑された。(創 40:18-22)この2つの記述は似たところがある。どちらも盛大な宴会と恩恵を施すことが特色となり,どちらも処刑がなされたことで知られている。

軍司令官: ギリシャ語キリアルコス(千人隊長)は字義的には,「1000の支配者」つまり1000人の兵士の支配者という意味。ローマの上級将校を指す。ローマの軍団ごとに6人の上級将校がいた。軍団が6つの部隊に分けられたのではなく,各上級将校が軍団全体を6分の1の期間指揮した。そのような軍司令官には大きな職権があり,百人隊長を指名して割り当てる権限もあった。このギリシャ語は,高位の士官一般を指すこともあった。ヘロデはそうした地位のある人たちの手前,誓いを守らざるを得ないと感じ,バプテスマを施す人ヨハネの首をはねるよう命じた。

ヘロデアの娘: ヘロデ・フィリポの娘で,母親ヘロデアの唯一の子。娘のサロメという名前は聖書に出てこないが,ヨセフスの著作に残っている。やがてヘロデ・アンテパスがサロメの母親を異母兄弟のフィリポから姦淫によって奪い,結婚した。

バプテスマを施す人: または,「浸礼を施す人」,「浸す人」。こことマル 6:14,24で使われているギリシャ語バプティゾーの分詞形は「バプテスマを施す人」と訳せる。これはマル 6:25; 8:28,およびマタイとルカで「バプテスト」と訳されているギリシャ語名詞バプティステースとは語形が少し違う。「バプテスマを施す者」と「バプテスト」という2つの呼び方は,マル 6:24,25で同意語として使われている。マタ 3:1の注釈を参照。

バプテスマを施す者: マル 1:4の注釈を参照。

自分の誓い: 原語で「誓い」に当たる語は複数形。(マタ 14:7では単数形。)ヘロデが誓いの言葉を繰り返して自分の約束を強調もしくは保証したことを示しているのかもしれない。

誓い: 原語で「誓い」に当たる語は複数形。ヘロデが誓いの言葉を繰り返して,ヘロデアの娘に誓った事(マル 6:23)を強調もしくは保証したことを示しているのかもしれない。マタ 14:9の注釈を参照。

ラテン語: 聖書本文でラテン語とはっきり述べているのはここだけ。ラテン語はイエスの時代に,イスラエルのローマ当局の言語だった。公式の銘文に使われているが,人々の日常語ではなかった。多言語の社会だったので,ピラトは,公式のラテン語,またヘブライ語とギリシャ語(コイネー)で書いた罪状を,ヨハ 19:19にあるように,処刑されるイエス・キリストの頭上に掲げたと思われる。ギリシャ語聖書にはラテン語由来の単語や表現がいくつもある。用語集の「ラテン語」,「マルコの紹介」参照。

護衛: ここで使われているギリシャ語はスペクーラトールで,ラテン語(スペクラートル)からの借用語。このラテン語は護衛や急使を指し,死刑執行人を指すこともある。ギリシャ語聖書には,軍事,司法,通貨,家政に関する30ほどのラテン語に対応するギリシャ語が見られる。そのほとんどはマルコとマタイにある。マルコはそれらをどの聖書筆者よりも多く使っている。これは,マルコが福音書をローマで,おもにユダヤ人でない人たち,特にローマ人のために書いた,という見方を裏書きしている。ヨハ 19:20の注釈を参照。

墓: または,「記念の墓」。用語集の「記念の墓」参照。

かわいそうに思った: この表現で使われているギリシャ語動詞スプランクニゾマイは「腸」を意味する語(スプランクナ)と関係があり,内奥の強い感情を指す。思いやりを表す極めて強いギリシャ語。

かわいそうに思った: または,「思いやりを感じた」。マタ 9:36の注釈を参照。

あなたたちが食べ物を与えなさい: 4福音書全てに記録されているイエスの奇跡はこれだけ。(マタ 14:15-21。マル 6:35-44。ルカ 9:10-17。ヨハ 6:1-13

デナリ: 用語集付録B14参照。

魚: 聖書時代,魚は一般に焼いたり塩干ししたりして,パンと一緒に食べることが多かった。イエスが用いた魚は塩干しされていたと思われる。

魚: マタ 14:17の注釈を参照。

パンを割って: パンはたいてい平たく,かたく焼かれた。それで,パンを割って食べるのが習慣だった。(マタ 14:19; 15:36; 26:26。マル 8:6。ルカ 9:16

籠: イエスが群衆に食事をさせた2度の奇跡に関する記述で(マル 6:43;8:8,20の注釈マタ 14:20; 15:37; 16:9,10にある並行記述を参照),余ったかけらを集めるのに使われた籠は別々の種類だったことが一貫して示されている。5000人の男性に食事をさせた時は,ギリシャ語コフィノス(訳は「籠」)が使われ,4000人の男性に食事をさせた時は,ギリシャ語スフュリス(訳は「大籠」)が使われている。このことから,筆者たちがその場にいたか信頼できる目撃証人から事実を聞いたことが分かる。

大籠: または,「食料籠」。マル 8:8,19の注釈を参照。

籠: 旅行者が持ち運びするためのひもが付いた小さな編み籠だったと思われる。容量は7.5リットルぐらいと考えられている。マル 8:19,20の注釈を参照。

男性は5000人: 4福音書全てに記録されているイエスの奇跡はこれだけだが(マタ 14:15-21。マル 6:35-44。ルカ 9:10-17。ヨハ 6:1-13),マタイだけが女性や子供のことも述べている。この奇跡によって食事をした人は優に1万5000人を超えた可能性がある。

第4夜警時: 午前3時ごろから午前6時ごろの日の出まで。これは,夜を4つの夜警時に分けるギリシャやローマの方式による。ヘブライ人は以前,夜を約4時間ずつの3つの夜警時に分けていたが(出 14:24。裁 7:19),この時までにローマの方式を採用していた。

第4夜警時: マタ 14:25の注釈を参照。

通り過ぎるつもりだった: または,「通り過ぎようとした」。弟子たちからは,イエスがそばを通り過ぎようとしているかに見えたということだと思われる。

先ほどのパンの意味を把握しておらず: 弟子たちはつい先ほどイエスがパンを奇跡によって増やすのを見た。それはイエスが聖なる力によってどれほどの力を与えられているかをはっきり示す出来事だった。それでも弟子たちはその奇跡の意味するところを把握できず,イエスが水の上を歩いて嵐を静めた時にすっかり驚いた。当初,水の上を歩くイエスを「幻影」,すなわちあり得ないこと,錯覚だとさえ思った。(マル 6:49

ゲネサレ: ガリラヤ湖の北西岸に沿って5キロ,内陸へ2.5キロほどの小さな平原。ルカ 5:1で,ガリラヤ湖は「ゲネサレ湖」と呼ばれている。

ゲネサレ: マタ 14:34の注釈を参照。

メディア

つえと食物袋
つえと食物袋

つえや棒は古代ヘブライ人には日常的なもので,さまざまな用途に使われた。例えば,体を支えるため(出 12:11。ゼカ 8:4。ヘブ 11:21),防御や保護のため(サ二 23:21),脱穀のため(イザ 28:27),オリーブの収穫のため(申 24:20。イザ 24:13)。食物袋はたいてい革製の袋で,旅人,羊飼い,農作業者などが肩から掛けた。食物,衣類,その他の物を入れた。イエスは使徒たちを伝道旅行に送り出す際,つえと食物袋についても指示を与えた。使徒たちは余分の物を手に入れようとして気を散らしたりすることなく,そのまま出掛けるべきだった。エホバが必要な物を与えてくださるから。イエスの指示をどう理解したらよいかについては,ルカ 9:310:4の注釈を参照。

籠

聖書では,幾つかの語がさまざまな種類の籠を指すのに使われている。例えば,イエスが奇跡的に約5000人の男性に食事をさせた後の余ったかけらを集めた12の籠について,小さめの編み籠を指すギリシャ語が使われている。一方,イエスが約4000人の男性に食事をさせた後の余ったかけらを入れた7つの籠については別のギリシャ語が使われている。(マル 8:8,9)こちらの語は大籠を指し,パウロがダマスカスの城壁の窓から地面に下ろされた時の籠にも使われている。(使徒 9:25

広場
広場

ここに描かれているような道路沿いの広場が市場になることもあった。行商人が通りに多くの商品を並べて通行が妨げられることもよくあった。地元の住人は家庭用品,陶器,高価なガラス製品,生鮮食品を買うことができた。冷蔵庫はなかったので,必要なものを買うために毎日市場に行く必要があった。ここでは,買い物客が商人その他の訪問者の運んでくるニュースを聞き,子供たちが遊び,仕事のない人たちが雇ってくれる人を待つことができた。広場でイエスは病人を癒やし,パウロは伝道した。(使徒 17:17)誇り高い律法学者やパリサイ派の人はこのような公共の場で注目されたりあいさつされたりするのを好んだ。