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ぶんかんかくたよればうまくいく?

何が正しい? みんなが頼っているもの

何が正しい? みんなが頼っているもの

ただしいかちがいか,だれてもはっきりしているものがあります。たとえば,さつじんせいてきぼうこうどうぎゃくたいなどはあきらかにわるいことです。ぎゃくに,だれにでもびょうどうせっすること,しんせつおもいやりをしめすことなどはみんながいことだとみとめています。でも,ようせいとどううか,どれほどしょうじきであるべきか,どもをどうやってそだてたらいいかなどは,「いろんなかたかんがかたがあっていい」とおおくのひとかんじています。たいていのあいは,ぶんかんたよったりまわりのけんれたりして,どうするかめています。そのようにすればうまくいくのでしょうか。

ぶんかん

ひとつうぶんこころこえつまりりょうしんしたがって,ただしいかちがいかをはんだんしています。(ローマ 2:14,15おさなどもでも,あるこうどういかわるいかがかり,なにくないことをしたときにはうしろめたくかんじます。おおきくなるにつれて,ぞくともだちせんせいいきしゃかいしゅうきょうぶんなどのえいきょうけてりょうしんけいせいされていきます。わたしたちはそのりょうしんしたがってものごとはんだんしています。

りょうしんがきちんとはたらけば,ひとどうじょうしたり,かんしゃしたり,びょうどうせっしたり,しんせつにしたりできます。また,だいひときずつけたりずかしいおもいをしたりしないでみます。

こころこえはいつでもただしい? ガリックはわかときぶんのしたいようにきていました。でも,しあわせにはなれませんでした。ガリックはこういます。「やくぶつやおさけたよるようになり,けんかをしたり,どうとくなことをしたりするようになりました」。

まわりのひとけん

わたしたちのはんだんは,こころこえだけでなく,まわりのけんにもえいきょうされます。そのひとたちのけいけんたしかにさんこうになります。ぢかひとおなじゅんこうどうするなら,ぞくともだちいきしゃかいかられてもらえます。

まわりのひとけんはいつでもただしい? わかころ,プリシラはともだちおなじように,いろんなだんせいからだかんけいっていました。でも,まわりにわせてもしあわせになれないということにきました。こうっています。「みんなとおなじことをしていましたが,なんかちがうとおもいました。いまおもうと,けんでばかみたいなことをしていました」。

もっとたよれるものは?

なにかをめるときには,ぶんこころこえにんけんくこともたいせつです。でも,そうすればけっになるとはかぎりません。かれとおもってやったのに,ぶんまわりのひともんだいんでしまうこともあります。(かくげん 14:12ぶんぢかひとかんがいつでもただしくいちばんいともえません。むかしはNGでもいまはOKだったり,ぎゃくむかしはOKでもいまはNGだったりするからです。

まわりにわせていればうまくいく?

なにかをめるあいに,はんだんじゅんとしてもっとたよれるものがあるでしょうか。なんねんたってもこうかいしないようなけっていをするために,いまだいたよれるものがありますか。

だいしょわず,どんなひとにもやくたしかなものがあります。それはなんでしょうか。つぎげます。