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愛する家族を亡くしたとき

愛する家族を亡くしたとき

あにきゅうくなったとき,どうしたらいいかかりませんでした。しばらくは,あにのことをおもしてはつらくなっていました。むねふかくえぐられるようなちです。『なんでんじゃったの!』といかりがげることもありました。きているあいだにもっといっしょごしておけばよかった,とぶんめていました」。バネッサ,オーストラリア

あいするぞくくしたことがありますか。かなしみ,さびしさ,りょくかんいかり,ざいあくかんあんおそれなど,いろいろなかんじょうがってきたことでしょう。きていくのがつらくなることさえあるかもしれません。

とはいえ,かなしむことはよわさのあらわれではありません。それだけそのひとだいおもっていたということです。かなしみをやわらげることはできるのでしょうか。

どんなことがやくったか

かなしみからせないようにかんじるときつぎのアドバイスをためしてみましょう。ちがかるくなるかもしれません。

まんしない

かなしみのあらわかたひとによってちがいます。それでも,くことでちはらくになるものです。バネッサはこういます。「ただきました。ちをかせたかったんです」。いもうととつぜんくしたソフィアはこうはなします。「ぶんちにうのはすごくつらいです。きずぐちひらいてうみをすようなものです。おおきないたみをかんじますが,そうするときずえていきます」。

ちをはな

もちろん,ひとりになりたいときもあるでしょう。でも,あいするひとくしたかなしみは,ひとりでうにはおもぎます。17さいのジャレドはちちおやくしたときのことをかえってこういます。「ちをほかのひとはなしました。めつれつだったとおもいますが,はなしいてもらえてかったです」。ジャニスもこうべています。「だれかにはなすとちがとてもらくになりました。かってくれているとかんじましたし,ひとりでがんらなくてもいいんだとおもいました」。

ぞくゆうじんたすけてもらう

あるはこういます。「ぞくゆうじんたすけをはやくかられると,べつかなしみをこくふくするのがようになる」。なにをしてほしいかをゆうじんらせましょう。たすけになりたくて,どうすればいいのかりたいとおもっているひともいます。(かくげん 17:17

かみさまたすけをれる

ティーナはこういます。「おっとががんできゅうくなり,いちばんそうだんあいがいなくなりました。それで,ぶんちをかみさまけるようにしました。まいあさ,『今日きょういちにちやっていけますように』といのりました。ほんとうにいろんなかたかみさまたすけてくれました」。22さいときははおやくしたターシャはこうはなしています。「せいしょまいにちんでげんをもらいました。かんがえをえるヒントがつかりました」。

ふっかつときをイメージする

ティーナはこういます。「おっとくしたばかりのころふっかつぼうなぐさめになりませんでした。わたしにとっても息子むすこたちにとっても,おっとはかけがえのないそんざいだったからです。でも,4ねんがたったいまではこのぼうきるちからになっています。おっととまたえるときそうぞうすると,ちがおだやかになって,まえすすもうっておもうんです」。

べつかなしみはすぐにはえないかもしれません。ですが,バネッサはこういます。「もとせいかつになんかぜったいもどれないとおもっても,かなしみはすこしずつやわらいでいきます」。

こころにぽっかりいたあなえないとしても,いちにちいちにちをやっていくことができます。かみさまたすけによって,ゆうじんとのあたたかいこうゆうち,やりがいのあるまいにちおくれます。また,かみさまくなったひとかならふっかつさせてくれます。たいせつひとともういちわせてあげたいとおもっているのです。そのときこころにぽっかりといたあなはなくなっていることでしょう。