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セブアノ語(左)とパンガシナン語(右)の「ものみの塔」が発行されるようになってから,2024年4月で75年になる。

2024年4月3日
フィリピン

セブアノ語とパンガシナン語の「ものみの塔」が発行されて75年

セブアノ語とパンガシナン語の「ものみの塔」が発行されて75年

1949年4月にフィリピンでセブアノ語とパンガシナン語の「ものみの塔」が発行されるようになってから,2024年4月で75年になります。

王国の良い知らせがフィリピンに初めて届いたのは1900年代初めです。最初の頃,兄弟姉妹は伝道で英語の出版物を使っていましたが,地元の言語の出版物が必要であることが分かってきました。1947年,フィリピンで最も広く話されている現地語のタガログ語に「ものみの塔」を翻訳するようになりました。1948年後半にはセブアノ語とパンガシナン語に翻訳する準備が始まり,数カ月後に初版が印刷されました。

謄写版印刷機で印刷されたパンガシナン語の1949年の「ものみの塔」

それから2年間,「ものみの塔」の印刷は地元の支部事務所で,小さな手動の謄写版印刷機を使って行われました。その後,さらに多くの雑誌が必要になったため,セブアノ語とパンガシナン語の「ものみの塔」は当時エホバの証人の世界本部があったアメリカのニューヨーク市ブルックリンで印刷されるようになりました。 a

フアン・ランディチョ兄弟

セブアノ語とパンガシナン語の「ものみの塔」を翻訳した兄弟姉妹は,素晴らしい奉仕に参加できたことに感謝しています。例えば,1980年代にパンガシナン語の翻訳チームで奉仕したフアン・ランディチョ兄弟はこう話します。「最初の頃は翻訳作業に時間がかかったため,パンガシナン語の『ものみの塔』は英語版より6カ月遅れて発行されていました。でもうれしいことに,1986年には翻訳に関係した手順が改善され,英語と同時に発行できるようになりました。エホバが確かに聖なる力で後押ししてくださっている,と感じました」。

フィリピン支部で46年間セブアノ語への翻訳に携わっているベレン・カニェテ姉妹もこう言っています。「私が奉仕を始めた頃,翻訳者は非常に少ないのに,仕事はたくさんありました。とても大変な時期もありました。でも今では,良いトレーニングを受け,最新の技術や機材を使うことができます。これまでエホバが銅を金に替え,ご自分に仕える人たちをよく世話するのを実際に見てきました」。

パンガシナン語(左)とセブアノ語(右)の翻訳チーム

フィリピンにはセブアノ語を話す人が2600万人以上おり,1150のセブアノ語会衆で7万6000人以上の兄弟姉妹が奉仕しています。パンガシナン語を話す人は200万人近くいて,68のパンガシナン語会衆で6000人ほどの兄弟姉妹が奉仕しています。現在フィリピン支部では聖書文書が24の言語に翻訳されています。そのうち10言語の「ものみの塔」は毎月発行されています。セブアノ語とパンガシナン語の聖書文書の印刷は現在日本支部で行われています。

私たちは,エホバがセブアノ語とパンガシナン語への翻訳を祝福し,真理を求めている人に神の言葉が伝わるようにしてくださっていることに感謝しています。(イザヤ 55:1

a 現在エホバの証人の世界本部はアメリカのニューヨーク州ウォーウィックにあります。